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妻を笑顔にするための、多忙なビジネスマンの手料理日記

包丁との出会い:三徳包丁を手に取った理由

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流しの下、キッチンで最も開けやすい引き出しを開くと、備え付けの包丁立てが取り付けられている。プラスチックの箱に、切れ込みが入っただけの簡単な構造なのだが、その切れ込みから包丁の黒い柄(え)が飛び出しており、私はその一つに右手を伸ばして引き抜いた。

 

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 プラスチックの柄に、銀色の刀身が鈍く光っている。この包丁こそ、今回私が紹介する刃渡り約18cmの三徳包丁である。

 

まず、柄はプラスチック製であるが、左右非対称で握り心地が良い。すこし細身に感じるが、太くあるべきところはしっかりと太くなっているので手に馴染む。

刃も薄めで、プラスチックの柄ということもありかなり軽く感じる。軽い分、かなり気楽に料理ができる気がする。パッと取り出して、さっと切って、さっと仕上げるようなイメージ。重たい包丁も使いやすいが、すこし気持ちが入るようなイメージがあるのに対して、この包丁は気楽な印象がある。

 

そのまま刀身に視線を移す。キッチンの明かりが鈍く反射し光っている。材質はステンレス特殊合金鋼で、硬度は57HRCだそう。最近流行りのダマスカス包丁のような装飾はもちろんないが、その刀身の形は洗練されていて、一般的な三徳包丁と牛刀包丁の間のような形状をしている。

 

私がこの包丁を手にしたのは、社会人になって一年目の十二月頃だった。それまでは実家に住んでいたのだが、残業も次第に増え、会社も近くはなかったため、睡眠時間の確保と家事にかかる労力を天秤にかけた結果、独り暮らしを決断したのだった。

 

準備を進め、いざ引っ越しの日。荷物をまとめて父親と車に乗りこもうとしたときだった。母が玄関から出てきて、たくさんのお菓子や乾物、缶詰め、それから細々とした掃除道具など、家のストック品から使えそうなものを詰めた段ボールが渡された。この段ボールなかに、この包丁が真新しいプラスチックの箱に入って乗っていた。

「これ、いいの?」私は真新しい包丁を指さして言った。

「ポイントかなにかでもらったんだけど、使ってないから」

こんな母からの軽い紹介があり、当時新品であったこの包丁が私の元に来たのだった。そのときはこの包丁が、その後の私の食生活を支えることになるなんて、そのときは考えつきもしなかった。

 

同期が安い賃料で会社の寮に住んでいるなか、「会社から一定の通勤時間圏内に実家がある」という理由で(と言っても、片道で約1時間半もかかるのだが)寮に入れなかった私は、同期が支払う寮費の数倍の賃料を払って独り暮らしをする必要があった。

 

新入社員の給料なんて、そんなにたくさんもらえるわけではない。まして、同期や先輩と飲みに行くためのお金も捻出する必要があり、自然となにもない日は自炊するようになった。確かに、中国留学をしていた際に、日本食がどうしても食べたくなって、たまに作ったりはしていたが、本格的に継続して作るようになったのはこの時が初めてであった。

 

いや、最初の頃は料理と言って良いものではなかったかもしれない。一言で言うと、毎日鍋である。冬だったので白菜を一玉買ってきて、好きな具材を入れては煮込む。この過程で食材を切るときの切り方、大きさによって、食感や味の染み込み方に違いが出てくることに気づかされたのを覚えている。こんな発見を与えてくれたのも、この包丁だった。

 

仕事が忙しいと外食をするのだが、一人でお店に入って料理を頼んむ、その料理を待っている時間がなぜか私は受け入れがたい時間で、どうしても疲れていたり、気分転換したいとき以外は、基本的に家で食べるようになった。そのうち、どうしても疲れているときですら弁当を買って帰るようになった。と思ったら、夜中まで開いている弁当屋ですら、頼んでから弁当ができあがるまでを待つ時間がなんとなく耐えられなくなり、家でうどんやそばを茹でるだけとか、そういった簡単な料理で済ませるようになった。

 

なぜ、料理が出てくるまでのあの時間が苦手で、どうして耐えることができないのか、いまだにその明確な理由はわかっていない。誰かと一緒にご飯を食べに行くのはもちろん問題ないのだが、本を読んでいても、音楽を聴いていても、携帯をいじっていても、一人であの空間にいるのが、なぜか私にとって耐えられない空間・時間であった。結果的に家にまっすぐ帰って食事を作ることが多くなった。

 

加えてこの際だから書いてしまうと、一人で居酒屋に行くのが私にはなんだかできない。なんか躊躇してしまう。なんでだろう。一人でふらっと小さな居酒屋に行き、ちょっとした行きつけみたいになって、そこで出会った人たちと仲良くなるような人たちもいて、それはそれできっと楽しいんだと思う。そういう飲み方のできる人たちをちょっと羨ましいとも思う。ただ、私にはなんとなく気が引けてしまう。仕事が終わったあと、ちょっと人に気を使う空間に身を寄せることに、気後れしてしまうのかもしれない。でも、一人で食事が出てくるのを待つのは気後れとか、気を遣うとか関係ないので、ちょっと違うのかもしれない。

 

一人外食を避けるために、家で食べるしかない私は、家に帰るとキッチンに立つ。キッチンには当たり前のようにこの包丁があった。仕事がうまくいったときも、うまくいかなかったときも、私生活でいいことがあったときも、嫌なことがあったときも、この包丁が私を待っていた。そしてこの包丁を手に取って、私は食べ物を切った。切れば切るほど、色々と見えてくる、感じるものがあるから面白い。自分好みの食材の大きさ、自分好みの味付け、煮る時間と食感の違い。少しずつ考えては試し、調べてまた試しいくうちに、小さい子どもが工作や実験にわくわくするような感覚で料理が面白くなった。それは、レストランで一人注文した料理を待っている時間よりも、なにかに対して正面から向き合っているような、そんな有意義な時間のように思えたからかもしれない。

 

つづく

 

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