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上海留学:ドラゴンボール論(差別への考察)

ドラゴンボール論(差別への考察)

みなさんは、日本のアニメ『ドラゴンボール』を知ってますか?
ちょっと今日は『ドラゴンボール論』を語りたいと思います。

たとえば、フリーザというワルがいる。
彼はどんな人だろうか。
彼は他の星を支配しようとする人である。
力によって、弱い星を制服している人である。
ここにはツリー構造が見てとれる(木の枝のような構造のこと)。

フリーザフリーザの手下→サイヤ人→支配される人たち

フリーザサイヤ人を見るとき、その相手を 唯一無二のかけがえのない存在 とは見ずに、サイヤ人のうちの一人としてみる。
同じく地球人を見るとき、その相手を地球人の一人としてみる。

つまり、自分がツリー構造の一番上にいる状態から、
他人をその下部組織の一部とみなす。

しかし孫悟空は違う。
彼は地球人であろうと、サイヤ人であろうと、ナメック星人であろうと、
その人がどんな人か、その人が誰か、その人が良い人か悪い人かを見る。
だから、みんなが孫悟空と話すとき、世界の中の唯一無二の存在として現れてくる。

ドラゴンボールの中にいる地球人は、サルから進化でしたであろう地球人もいれば(クリリンや亀千人)、ブタから進化したであろう地球人もいるし(ウーロン)、よくわからないやつもたくさんいる。
しかし彼らはお互いに唯一無二の存在として話している。
それを壊そうとする働きに対し、絶対的に悪を見出すのがドラゴンボールであり、孫悟空という存在なのだ。

孫悟空は自分で自分のことを、「地球育ちのサイヤ人」という。
つまりこのことは、すでに自分が何人なのか、そういうことを超越している。
彼の立場は、「惑星べジータで生まれ、地球で育った、宇宙人」の立場と言ってもいいだろう。

まとめると、『ツリー構造』から『リゾーム構造』への脱却を成し遂げる人物こそが、孫悟空なのである(ツリー構造、リゾーム構造の詳しい解説については、ジル・ドゥルーズの本を参照ください)。

俺は「日本生まれの地球人」になりたい。
人をツリー構造の一部としてしか見れない人を、俺は無礼な人としか思えない。

冗談で、日本人はこういう人、中国人はこういう人、って言うのはありだとしても、
外国人と接するとき、フリーザ的には接してはいけないと思う。

日本人の中には、他のアジア人を見下したり、そんな気持ちから簡単に外人を批判をしたりする人もいるだろう。
中国人の中にも、漠然とした概念としての日本を敵視して、批判している人もいるだろう。
そしてそんな人たちは、フリーザがツリー構造として見ていたのと同じように、日本人に含まれる個を、中国人に含まれる個を消し去り、日本人のうちの一人、中国人のうちの一人、そういうふうにしか目の前にいる相手を見れない。

まさにフリーザクリリンを殺したかのように、そんな人の前で僕たちは日々殺されているのだ。

だから孫悟空のように怒らなければならない。
彼のように力をつけ、どこの国の生まれであろうが、個と個が触れ合うときは、個と個として触れ合える、そういう状態にむかって努力しないといけない。

読者が孫悟空に対して抱くあの爽快な感じは、きっと読んでいる読者までも、唯一無二の存在として気づかせてくれるからであろう。

 

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